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2018年 06月 21日
PLACEM山田翼写真展「浮草」 僕がワークショップに参加していた頃によく言われていた考え方で、バラバラでもいいから自由に撮ること、そうすると種類の違う小さな島があちこち出来てくる。その小さな島を大きくして行くと、点在していたものがどこかで地続きになったり、または消えてしまうこともある。そうやって広げていく。展示を見ながらその事を思い出したのは久しぶりかも知れない。第一印象ではっきりしたまとまりは感じないから、よく分からないという人もいるかもだけど。現実って分からないものでしょとも思う。分からないという意見についてはまたゆっくり考えたいものがあるんだけど。 しばらく写真の粒子と粒子が結ぶ像の間を眺めていたのだけど。例えばジェスチャーを交えた語りの真剣さを注意深く聞こうとするような、そういう感覚と似ているかも知れない。35mmフィルムを大きめに伸ばした時のシャープじゃない感じもまた新鮮に思える。 たまに「自分のことはどうでもいいと言う自分」の表現を見かけることもあって。眠れない夜に眠れないこと自体を考えてしまい寝れないようなもので、もちろんそういう表現もあってもいいのだろうけど、僕はそこに可能性を見出せない。僕はその人の質を活かせる対象との出合いによって表現が成立するところを見てみたい。(自分についても見てみたい) あと大塚さんの展示会場で思ったこととして、会場での接客態度の生真面目とも言える姿勢には頭が下がる。多分ご本人は普通にしているんだろうけど、僕にはなかなかできないことだったりする。それぞれに誠実な態度表明をしていくのが大切なことだなぁと思う。 TAP Gallery北沢美樹写真展「Bodyscape」 作者さんが在廊されていて色々とお話を聞かせていただいた。風景の考えも興味深かくて帰路に着きながらしばらく思いを巡らせていた。展示作品の第一印象はドキリとさせられて、DMの写真は幽霊画のようなイメージもよぎったかな。例えば柳と幽霊の取り合わせとかって、あの柳のしなり加減と幽霊の掴みどころないイメージが絶妙に合わさったのところに人の想像力が入り込んだ妙があると思うわけで。人の心理がある形(ない形)によって引き出されたものとも言えるかと。ちなみに柳は陽木で幽霊の陰性とうまく噛み合ってもいる。作者はシュルレアリスムに関心があるとのことで、たしかに手の表情とかマン.レイを想起したり、あとフランチェスコ.ウッドマンを思い出したかな。個人的にシュルレアリスムには興味深いものがあって、もうちょい掘り下げたい。
by nyazin
| 2018-06-21 10:10
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